ランボルギーニ・ミウラ
ランボルギーニ・ミウラ−−これこそ「スーパーカー」の起源
のように思っている。
ランボルギーニやフェラーリ以前の時代の自動車にも、
アルファ・ロメオやブガッティ、ジャガー、ベンツあたり
「スーパーカー」と呼ばれたものはあるらしいが
どうも超高性能自動車というより今や「高級車」のイメージだ。
ランボルギーニ・ミウラは1966年から1973年にかけて
ランボルギーニ社が製造した自動車であり
大きくはスポーツカーに分類される。
フェラーリに対抗し、最初のモデルから当時では最高峰の
12気筒エンジンを標準的に使用しているランボルギーニ。
ランボルギーニ・ミウラの最大の特徴は
その横置きミッドシップのエンジン搭載にある。
巨大なV12エンジンを当時主流のFRレイアウトで搭載していては
どうしても凡庸なスタイリングにしかならざるをえない。
エンジンを横置き搭載するという斬新なアイディアこそが
ランボルギーニ・ミウラの流麗なボディを実現させ
ランボルギーニ・ミウラが、現代に続くスポーツカーレイアウトの
契機となったのだ。
ランボルギーニ・ミウラは現代でも評価が高く
ミウラ40周年に当たる2006年、
ミウラ・コンセプトがデトロイトショーで公開された。
今のランボルギーニ社はアウディ傘下。
デザインはアウディグループのヴァルター・デ・シルバだ。
| スーパーカー
スーパーカー・ランボルギーニ
「スーパーカー」という自動車のジャンル(?)がある。
子供の頃メチャクチャ憧れたスーパーカーは
ランボルギーニ・カウンタック
スーパーカーに正しい定義があるわけではないが
超ド級のエンジンと軽量ボディ、同時代のスポーツカーとは
比較にならない性能を持つマシンであることが基本なのだろうが
子供心に魅かれたのはランボルギーニ・カウンタックの
あの近未来的なデザイン、これに尽きる。
ランボルギーニ・カウンタックは
70年代から80年代の日本におけるスーパーカーブームの
火付け役的存在であり、日本ではスーパーカーを代表する
車種として、今でも根強い人気を誇っている。
強烈に記憶に残っているデザインは何故か
真紅のランボルギーニ・カウンタックLP500
同意してくれる人も多いような気がするがどうだろう?
ランボルギーニ・カウンタックLP500は市販モデルで
あったわけではない。
とすると子供時代に集めたミニカーかプラモデルか
はたまた漫画の中で登場した記憶からか
「スーパーカー消しゴム」だったか
とにかく公道をカウンタックの実物が走ることなど
微塵も期待していない夢の自動車だった。
ランボルギーニ・カウンタックのウェッジシェイプの
デザインとガルウィングドアのイメージは
近未来を描くアニメやコミックに出てくる自動車に
確実に影響を与えたと思っている。
| スーパーカー
ランボルギーニの変遷2
ランボルギーニの変遷の続きです
1974年9月 石油ショックの影響からランボルギーニ自動車の
残り49%の株式をレイネ・レイマーに売却
(レイネ・レイマーはロゼッティの友人)
1978年4月 BMWから委託されていたM1の生産遅れから
契約を破棄されランボルギーニ自動車社倒産!!
イタリア政府の管理下に(泣)
投資家に経営権が握られたランボルギーニの結末といえましょうか?
74年までは一応フェルッチオ・ランボルギーニもいたのですけど。
カーマニアだったランボルギーニの自動車へのこだわりも
「レースには出ない」というランボルギーニの社是も
ここで一旦は幕を閉じてしまいます。。。。
そしてここからが頻繁に変遷していくランボルギーニ。
1981年 フランスの実業家パトリック・ミムランが
ランボルギーニ自動車社購入
1987年 ランボルギーニ社、クライスラー傘下に
1993年10月 インドネシアの新興財閥セトコ・グループの
メガテック社にランボルギーニ社譲渡
(フェルッチオ・ランボルギーニ死去)
1999年 ランボルギーニ自動車社、アウディ傘下に
6年きざみですよ・・・・・・あわただしいことで。
ランボルギーニ・ジャルパ(81〜)
ランボルギーニ・ディアブロ(90〜)
ランボルギーニ・ムルシエラゴ(2001〜)
そしてランボルギーニ・ガヤルド。
このあたりの開発はさぞ大変だったことでしょう。
(個人的にランボルギーニ・ディアブロFAN)
| 変遷について
ランボルギーニの変遷
フェルッチオ・ランボルギーニが設立した自動車会社
アウトモビリ・ランボルギーニSPA
ちょっと見ただけでかなり変遷してますよね?
1962年4月 フェルッチオ・ランボルギーニが設立。
1963年10月 トリノ・ショーでランボルギーニ社の1号車
350GTVを発表
1971年8月 ボリビアで起こったクーデターによって
親会社のランボルギーニ・トラットリーチ社と
前政府との間のトラクター購入契約が破棄され
資金難になったランボルギーニ・グループは
トラットリーチ社の全株式をフィアットに売却
自動車部門の株式51%(!)をスイス人投資家
ジョージ・ヘンリ・ロゼッティに売却
10年もたなかったんですね?ランボルギーニ自動車・・・・・・
51%の株式が1人の投資家に渡れば、場合によるとはいえ
経営権はそちらに移り、フェルッチオ・ランボルギーニの意向は
強くは通らなくなりますから。
350GTV(63〜)
ランボルギーニ・ミウラ(66−73)
ランボルギーニ・イスレロ(68−70)
ランボルギーニ・イオタ(69〜)
ランボルギーニ・カウンタック(71〜)
いわゆるランボルギーニの伝統である
「ランボルギーニ・ミウラ」から
「ランボルギーニ・カウンタック」まで
制作はやはり元祖のランボルギーニ!(偏見含)
この後のランボルギーニの自動車が悪いとは言いませんが
創業者のポリシーが貫かれている車はやはり違う!と思います。
| 変遷について
ランボルギーニ設立のエピソード3
ランボルギーニ設立のエピソード、まだあります。
ランボルギーニが愛車(フェラーリ)の修理をフェラーリに
頼んだところ、小さな部品一つで驚くほどの値段を取られた
ことから、「この部品をこの値段で買う客がいるのなら
『この商売は儲かる』!」とランボルギーニ自身も自動車
(スーパーカー)の生産販売をはじめたという説。
フェルッチオ・ランボルギーニは典型的なイタリア人。
親分肌で多くの人から慕われていたといいますから
何と言いますか、「この商売は儲かる」という発想は
ランボルギーニらしくないような気がします。
(これが商売っ気の強い中国人とかだったら納得ですが)
結局ランボルギーニ自身はランボルギーニトラットリーチ社を
1971年に売却し、1974年にはランボルギーニ自動車の方も
全ての株を手放して自動車業界から引退していますしね。
あまり商売上手ではなかったのかもしれません。
ところでこのブログに出てくる「ランボルギーニ」
ややこしいことこの上ないですね。
アウトモビリ・ランボルギーニSPA(ランボルギーニ自動車)の
設立者としてのフェルッチオ・「ランボルギーニ」と
アウトモビリ・ランボルギーニSPA自体を指す「ランボルギーニ」と
既に自動車ブランド(?)として確立している「ランボルギーニ」と
トラクターの「ランボルギーニ」・トラッチリーチ社
いちいち注釈をつける気も起きず、そのまま放置!
文脈で察してください<(_ _)>
| 設立など